コラム 水の歴史、名残り景色 〜仙台の水の歴史を感じられる場所をご紹介〜 

コラム 水の歴史、名残り景色

その2 四ツ谷用水の名残り(1)「開水路」編

四ツ谷用水は生活用水として仙台城下をくまなく流れ、やがて梅田川に流れ込んでいました。明治時代になると、上下水道の普及により次第に用水は荒廃。暗渠化(あんきょか)が進み掘割(ほりわり)※は見えなくなりました。それでも仙台市内には四ツ谷用水の開口部が今もいくつか残っています。まず青葉区郷六には四ツ谷堰(ぜき)があり、広瀬川から工業用水を取水しており、ここから始まる郷六四ツ谷用水を見ることができます。次に県道31号(旧国道48号)沿いの八幡7丁目に針金沢(石山沢)があり、また少し東に移動すると大崎八幡宮の境内にある太鼓橋下には用水跡(現在、水は流れていません)があります。やがて四ツ谷用水の本流は福沢町で、支流は原町付近でそれぞれ梅田川に放水され役目を終えます。

※堀割=地面を深く掘り上げて、水を通すために作られた水路


【次回は四ツ谷用水「洗い場跡」をご紹介します】

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